ラジー賞総ナメ!?映画『キャッツ』感想・レビュー【ネタバレなし】酷評の嵐!?そのワケを徹底解剖!

どうもサムカワです!

 

この1月は観たい映画が公開されまくってて追いつけてないです。

イーストウッド信者なのに『リチャード・ジュエル』も観られてないし

リメイク元が大好きなのに『ペットセメタリー』も観てない!!!!

 

なのに観に行ってる映画ときたら…

 

ということでいってみましょう


今回レビューするのは

映画『キャッツ

制作:2019年
公開:2020年1月24日日本公開
監督:トム・フーパー
脚本:リー・ホール、トム・フーパー
出演:ジェームズ・コーデン、ジュディ・デンチ、イドリス・エルバ、テイラー・スウィフトなど

 

ざっくりしたあらすじ

“天上”と呼ばれる新たな命が授かれる場所にいける猫に選ばれるため、いろんな猫が順番に自己紹介します。

劇場
TOHOシネマズ新宿
公開2日目
東京ど真ん中の新宿
なのにけっこう空いてた……

 

形式:TCX、ドルビーアトモス
   ドルビー使用にはなっているはずなんですが、作り手がそこまでちゃんと作ってないような感じ?
   本作に限ってはドルビーを選ぶ利点はあまりありませんでした。

 

パンフレット

豪華キャストのインタビューや、作り手たちがどのツラ下げて本作を作ったのか、細かいメイキングが載ってるので情報量が多いですが、イマイチ中身のデザインが手抜きな感じがするのと、翻訳の仕方なのか文章が読みづらくて体力使います。

 


 

はじめに

もうなんとなくお分かりだとは思いますが、このブログでは本作『キャッツ』を酷評しています。

SNSでは「面白くないのわかっててわざわざ観に行って、酷評したり大喜利するなんて!

と、この手のレビューに懐疑的な方も散見されますが

僕としては世の中の酷評ムードに観もせず乗っかるより、お金払って実際に自分の目で確かめてんだから思ったこと書かせてよってスタンスですし、ただ悪口ばかりの不快な文章よりは、やや大喜利チックにして、読んだ人が「逆に観たくなったぞ!?」ってなったら嬉しいじゃないですか。

 

それを否定したらマジで舞台の『キャッツ』が好きな人たちだけが観に行って褒め合うだけのオフ会止まりですよ。

せっかく大金かけて作って全世界で公開したことで、普段舞台を観ない人もこれが『キャッツ』に触れる機会になるかもしれないのに。

 

あと本当に僕もちゃんとお金払って観てるんで。


それではレビューに参ります。

 

ここからは大きく分けて以下の3つのポイントに分けて解説します。

●元の舞台も知らずに観た僕の最初の感想

●舞台版を観てからの考察

●今後の妄想


元の舞台も知らずに観た僕の最初の感想

去年末どの映画を観に行っても本作の予告編を目にしていて

僕はわりとどんな新しい試みの映画も、それに合わせた見方ができる柔軟さが自慢でもあるんですが

こと本作に関しては一向に慣れず…

怖いですよね。普通に。

 

海外の評論家のレビューも

それ褒めてるの?貶してるの?

とギリわからないものばかりだったので

 

こいつァ自分の目で確かめるしかねェ!!!

 

ということで、友人たちと

#キャッツチャレンジ

と題して挑戦してみよう!!

ということになり、いざTOHOシネマズ新宿へ

 

余談ですが

眉唾物ものではありますが、このTOHOシネマズ新宿

上がホテルだから映画館は音量を少し制限してる説がありまして。

 

新宿だと音がデカくて良いのはバルト9かな?

 

なんて色々考えつつ。

 

「では行ってきます!!!」

 

〜約2時間後〜

 

撃沈

僕は普段、あまり映画を口汚く罵ったりしないし、そもそも嫌いな映画って『湯を沸かすほどの熱い愛』くらいなもんで、まず映画を嫌いになることはないですが…

 

本作に関しては、観ている間感じていたものは

 

恐怖不快怒り

この3つでした。

 

まずストーリーがないのが辛い……。

 

誰にも感情移入できないし、物語がどこへ向かうのかが不明すぎるので

“何をしたら終わるのか”がわからなく

ひたすら時計を確認しては「まだ30分しか経ってねぇ…」とイライラして仕方がなかったです。

 

だからよく言う「話が面白くなかった」って映画のような評価基準にすら立ってないんですよね。

あとはどうしたってあのビジュアルが気持ち悪い…。

 

人面犬とかシーマンみたいな薄気味悪さ

逆に可愛いとかならない

“JUST 不快”

 

それに猫だけでは飽き足らず、あいつやあいつまで……あのとき映画館全体が「あっ…」って

何かの一線を超えてきたことに引いた空気感が漂いましたね。

 

もうね

イラン・マッケランとか大御所俳優が可哀想にすら見えてきてしまいます。

大晦日のガキ使とかで大御所芸能人が変なコスプレさせられて出てくるコントみたいな感じね。

 

そこに入り込めてないから、どれだけ素晴らしい歌声を披露されても「で、なんで変な格好してんの?」みたいな邪念が頭をよぎるんですよ…

 

物語がなく、ただひたすらにミュージカルシーンの羅列なので

歌はすごいかもしれないけど

ミュージカル映画って物語とエモーションと音楽とが合致して感動を生むものだと思ってるから

なんも心に響かないんですよ。

 

映画はYouTubeの再生リストの垂れ流しでは成立しないんですよ!!!!!

 

だからどれ1つとして歌の歌詞、その内容が頭に入ってこなかったです。

これは誇張なしで

開始10分で「早く終わらないかな

って思いました。

 

それで最終的に猫から人間に対して説教してくるとか

ふざけんなよ!!!!!!

 

申し訳ないけど猫が嫌いになりましたよ!

猫への風評被害出てますよ!!!

 

あと普通に映像技術がそんなにすごいと思わなかったんですよ…

ずっと人間の顔がペタッてくっついてるようにしか見えないし、先ほど言った猫以外の“アレ”とのシーンとかPS2か?って思うレベルで

 

多分毛並みや街などのそれぞれのクオリティは高いんでしょうけど

それら全体をまとめた最終的な映像のバランスが悪いんですかね。やっぱりあの実写化のバランスは異常じゃないですか?

 

もう途中から劇場内のお客さんが、この映画がやばいって気づき始めてるけど、とりあえず最後まで観てる感が漂っていて辛かった…。

 

何がいけ好かねぇって

これだけ不快な描写てんこ盛りのカルト映画なのに

さも美しくて良い映画かのようなツラしてるってところですよ!

宗教映画みたいだよ!!!

 


と、これが何も知らずに観たときの感想です。

そして次は

舞台版を観てからの考察

今amazonで100円で観られるので。

 

これは舞台の『キャッツ』を映画用に(カメラアングル等を意識して)撮影されたものです。

 

そして舞台版は

面白かったです。

 

舞台版もストーリーはなく、詩的な世界で、舞台ならではの抽象表現により構成された猫の世界を覗き見ているような感じ。

 

ラストの人間への説教はあるけど(ここは舞台版でも釈然としない)

 

物語がどうのというより

生身の人間が繰り出すパフォーマンス力と迫力

歌とダンスの素晴らしさ

そこを観に行くような、ある種のサーカス的楽しみ方といいますか。

 

だからそもそも映画化に向いてない作品なんですよね。

 

じゃあ映画化すること自体諦めろってか?

というと、そういうことではなく、ここは映画と舞台とが持つ媒体の性質に合わせたチューニングがかなり必要ってことなんですよね。

 

パンフレットの監督インタビューによると

映画化に際し、まず音楽を調整する必要があると感じた

的なこと言ってるんですが

 

最初がそこ!?!?!?!?

 

と、やや引いてしまいました。

 

手品と一緒で、目の前でやられれば「すげぇ!」ってなるのも

映画でやられたら「いや編集できるじゃん」とか「CGがあるしな」とか思って、手品としては成立しなくなるじゃないですか。

※映画『晴天の霹靂』は手品シーンをワンカットで見せることで克服してました。

それと同様だと思うんですよ。本作の映画化って。

 

もちろん作り手はそんなこと俺に言われなくても十分わかってますよ。そりゃ。

だから舞台版ではあまり目立たなかったヴィクトリアというキャラにバックストーリーを背負わせ、新たに新曲も持たせ、この映画の物語の背骨となるように変更したり

元々影の存在として抽象的な感じでしか現れなかったマキャヴィティという猫をわかりやすい悪役にしたりと、色々チューニングはしてはあるんですよね。

 

ただそれが結果として

僕らお客さんに届いたときに、

特に僕みたいに元の『キャッツ』を知らない層が観たときに

全然物語的にうまく機能できてないですよ…

っていう。

 

彼らが物語的役割を何か果たしてくれたとは到底思えないんですよね。

 

またビジュアル問題についてですが

僕は最初、猫の世界を表現した舞台の映画化なんだから、この前の映画『ライオン・キング』の超実写版みたいな、マジ猫にするもんなんじゃないの?と思ったんですよ。

あのリアリティラインは舞台だからこそ成立するものなので。

 

しかし監督のトム・フーパーは、『キャッツ』の魅力は生身の人間が実際に歌って踊ることで生まれる感動にこそあると思っているらしく(そりゃそうだ)

パフォーマンスをCGで作り出したもので表現したくはなかった。とのこと。

さらにダンスや動きだけでなく、演技においてもコンピュータで作りだすことなく、役者の力で猫らしさを表現したいと強く思っていたそうです。

 

だから「人間が猫を演じる」という舞台版の要素は残り

それ以外を映画ならではの技術で作り上げたからああいうビジュアルになったと。

 

また、生演奏の音が流れるインイヤーモニターをつけた演者たちはその場で生歌で演技しているとのこと。これはトム・フーパーの過去作『レ・ミゼラブル』同様。

 

ガチで踊ってガチで歌うことで、その迫力がお客さんに感動として伝わることを想定してのこの撮影方法なのですが、実際(他のみなさんはわかりませんが)僕にはそれが届かなかったです。

 

やはりどうしたって、あのデジタル特殊メイクのキモい猫ってビジュアルが強すぎて、いくら「生身の役者が!」とか言われても作り物に見えてしまうんですよ。

作り物(に見える)の猫たちが歌い踊ったあとに息切れしてるのを見ても

それは演出されたものって感覚になってしまったんです。

 

だから

やっぱりこの映画は映像化の仕方ビジュアルの構築方法がまだ人類には早かったんじゃないでしょうか…

ものすごい数のスタッフたちが気の遠くなるような作業で追い求めたビジョンは2030年くらいに再評価されるかもしれないです…

 


 

今後の妄想

注意

ここからは読んでも何の特にもならないただの妄想です。

 

本作で主人公のような位置付けだった白猫ヴィクトリア

彼女は結局何も成長していないですが、ラストに「次は私が!」みたいな

これからだ!みたいな感じで映画が終わるので

 

これ、最近の映画の潮流に当てはめるとするならば

本作はあくまでプロローグで、次が本番なんですよ!!

 

『キャッツ2』はヴィクトリアが天上に行く猫にのし上がるまでの物語です!!!

 

様々なライバルたちとの友情を育みながら勝ち抜き、仲間に祝福されて天上界に飛び立つヴィクトリア。

 

しかし天国のような場所だと思ってた天上は実は地獄絵図。

かつてここに旅立った旧友たちは生贄に捧げられてたり、『家畜人ヤプー』みたいになってたり

そこでヴィクトリアは天界人に復讐を誓います。

ここで2は終わり。

 

スター・ウォーズ 帝国の逆襲』っぽくなってきましたね!!2作目っぽい!

 

そんで次は『ライオン・キング』とか『オペラ座の怪人』とかともクロスオーバーするんですよきっと。

あのヴィクトリアがライオンにまたがって天上に行くんですよね。

 

ただ心配なのが、今回の『キャッツ』一作目は今後のシリーズ化を前提として作りすぎているので、一本の映画としての完成度に達してないんですよ。

これダークユニバースという一大プロジェクトを一作目でポシャらせた『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』という前例があるので、こうならないように気をつけてほしいですね……。

 

ただやっぱり、ユニバースものは僕も大好きなのでこれからが楽しみです!!!!

 

……って

寝言は寝て言え!!!!!


ということでみんな映画『キャッツ』観てね!

それでみんなで映画に優しくなろう!!!!

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